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飲みすぎ注意報!

私は昔ひどい杉花粉症だったのですが、体質が改善されてだいぶ軽くなりました!なのに、ここ数年は杉花粉のシーズン以外にも症状が出る事がありました。以前、アレルギー検査をした時に、杉以外にもあらゆるものにアレルギー反応を示していて、特に「埃、ダニ」等は強く反応が出ていたので、「ここは埃っぽいから症状がでてるのかな?」と思って過ごしていたのです。そして、いつしか朝起きると鼻水が出るようになりました。毎日ではありませんが、モーニングアタックで鼻水が出たり、くしゃみが出たり....。花粉症でモーニングアタック慣れしていた私は、「昨日はほこり吸いすぎたかな?」と思う程度でした。しかし、、、いつまでもこんな状態で良い訳がない!と思い、アーユルヴェーダを深めている私は、体と向き合いました。そして、ようやく気がついたこと。「私、水分摂り過ぎてた!」という単純なこと。私の場合、飲み物は絶えず飲むという習慣になっていました。朝起きて飲み、移動中、仕事を始める前、仕事の合間に何度も、昼食時、昼食後、また仕事の合間に何度も、移動中、帰宅後、夕食時、夕食後、入浴後、寝る前...というように、ひっきりなしに水分補給をしていたように思います。特にのどがかわいたからではなく、単に口寂しさといったものや、ちょっとした息抜きとして水分摂取の習慣ができたのでしょう。いつしか、飲み物はいつも側に置いておきたいものになっていました。アーユルヴェーダを勉強すればするほど自分と向き合っていくようになるし、自分にとって必要な時に、必要なものを、必要な量を体に入れているか?ということに敏感になる。だから、ある時に「今の私にとって、その水分量は適切なのか?」と考えました。「私っていつも水分とってばかりいるなぁ」という答え。好奇心旺盛な私は、「水分摂取を減らしてみたらどうなるか?」と思い、実行へそうすると、不思議なことに(というより当たり前!?)、モーニングアタックも昼間に突発的に起こるくしゃみ、鼻水もほとんど現れなくなりました!水分摂取の量だけが私の不調に作用したわけではないと思いますし、食べ物も影響も大きいと思いますが、私のアレルギー少々は緩和されています。「自分の体に向き合うこと」、「必要な時に、必要なものを、必要な量を体に入れているか?ということ」は本当に大切です。習慣というものは、自分にとって最善のものかどうかなんて構わずに出来あがっています。けれども、習慣は変えることができます。何か不調があったり、何かしっくりこなかったりしたら、その習慣を見直してみるといいと思います。その習慣は人生につながりますよ!

感情の先取り

「心ここにあらず」という言葉がある言葉のとおり、心がいま、ここにないマインドフルな状態ではない、ということ私たちは過去の事、未来の事に気持ちが引っ張られがちなのだいま、ここには事実なのに、感情は未来から今へ引っ張ってしまう「感情を引きずる」という言葉があって、誰しもその経験をもつ「失敗しちゃった」「あんな言い方しなければよかった」という後悔の念「もっとできたのに」という悔しさ「甘かった」という自己批判そこから抜け出せないと、過去の感情をいまに引きずってしまうその事実はいま、ここにはないのに...もちろん、過去に失敗や不満足な結果を招いてしまった時に、反省をしてその場で最善の策を講じたり、リカバリーさせたり、原因を探ったり、次回に生かすことはとても大切なことだからこそ、「反省」は必要不可欠けれども、ずっと「自分はだめだ」「悲しい」「悔しい」「怖い」「不安だ」などの感情に飲み込まれてしまうこともあるその事に人は気づいている一方で、未来の感情を先取りしている事に気づいているのだろうか?来週は大好きな人とのデート、来月から旅行に行く、明日からお休みまだ先に起こることなのに、考えると「わくわくしたり」「嬉しかったり」「楽しかったり」気持ちがあがることがある(同じ状況でも、「心配になったり」「不安になったり」「気持ちが疲れたり」することもある)明日は試験、重要な会議、少し先には誰かを悲しませることを伝えなけれなならない、などと考えると、「緊張したり」「苦しくなったり」「辛くなったり」と気持ちがさがることもある(同じ状況でも、「やる気がでたり」「慎重になったり」「一生懸命に取り組む気持ちがでたり」することもある)未来の事に対して起こる感情は、私たちへのメッセージもっと頑張れよ、とモチベーションをあげさせてくれたり、もっと慎重になれよ、と浮ついた心を制してくれたり...素敵なメッセージなのだ!ただ、やっぱり感情に引きずられ過ぎないようにしなければならない「心ここにあらず」になってしまうからしばらく心配の渦に飲み込まれていた私は、起きてない事に心配というエネルギーを注ぎ続けることに、エネルギーの無駄使いだと気がついたやっぱり、いま、ここにいる事が大切なのだ!!

新年への思い

あけましておめでとうございます。昨年はご訪問くださり、ありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。2018年もスタートしました!皆さんは「今年は○○の年にしたい」とお考えになりましたか?私は初詣に行き、湧きあがった思いがあります。それは、「マイナスを転じてプラスに変えること」です。ここしばらく前進を感じる面があるものの、ある面においてはマイナスになっていると感じています。そして、私の心の中で、いつでもおもりのように重さを感じています。そのマイナス面が拡大すれば、心のおもりはどんどん重くなる一方で、人生先行き危うい状況にもなりかねません。手段や道を正しく選べば、現状打破は必ずできると信じています。ただ、その手段や道を選ぶのに躊躇しているのです。すっかり足踏み状態になっていましたが、自ら窮地においやったので、もう選ぶしかありません。マイナスに目を向けていても、気持ちが重くなるだけ。マイナスというのも全体からみれば一部にすぎない。マイナスがプラスに転じれば、結果としてマイナスもプラス。だから、脱マイナスです!そう意識をきりかえたら、プラスへ転じさせる過程が楽しみになってきました♪「しゃがまないとジャンプができない」しっかりとしゃんがんで準備バッチリです!大きな飛躍の年となりそうな予感です♪みなさんにとって素晴らしい年となりますように幸せな日々が訪れますように

なんくるないさー

「なんくるないさー」という沖縄の言葉。耳にしたことがある方は多いと思います。よく使われるのは「なんとかなるよ」という意味ですね?私が沖縄に移住した後に何度も耳にしました。そして、昨日もその言葉を頂きました。(ありがとうございます!)私が感じるのは、「なんとかなるよ」という軽い単純な言葉ではないのかもしれないということ。そして、言霊を感じる言葉であること。不思議なことに、少し弱気になってる時、ネガティブな事に意識がいってしまっている時などにその言葉を聞くと何故だか安心感がわき、勇気をもらえ、ポジティブな気持ちにきりかえられるのです。「なんくるないさー」という言葉をかみしめると、「あっ!思考がネガティブワールドにはまっていた」と気づかされます。心配する気持ちに執着していても、そこから良いものは生まれませんよね?(もちろん、心配だから○○しようとアクションするのは前向きなものを生みだしますが、心配、心配、とにかく心配と思っているだけなのは執着です。)また、「なんくるないさー」という言葉によって、その状況を客観視できるようになります。ネガティブな面しか見えてなかったものが俯瞰して見えるようになって、「困った、だめだ」などの価値判断を加えずにいると、「案外どうにかなるかも」と冷静になれたりもします。気づきをもらえて、これってマインドフルでもあるんだなぁと思った次第です。言葉の力、大切にしたいと思います!

蕁麻疹とマインドフルネス

ふぅ。。なんと!15年以上ぶりの蕁麻疹発症!!これまで何度も身体を痛めつけたけど、すっかり健康を取り戻したかと思ってたなのに...と言っても、激しくストレスのかかる環境下「それくらいですんでるんだー」と言われて、「そうだね、普通ならもっと病んでるな」と気づく 笑さらに別の人に「やっと病気になったの!?」と言われ、「あぁ、久しぶりに病気らしい病気になったのね」と気づく 笑後者の人とは10年以上のお付き合いなのだけど、あまり私に病気のイメージがないのだ^^;そして、、、今朝は蕁麻疹が目覚めたたまにはカフェで朝食を食べようと思い外出カフェで食事をする頃には痒みが悪化まずは足の指に足の甲その後に足首かゆい、とにかくかゆい!!!せっかくの朝カフェなのに、もう食事どころじゃないじっとしているのがつらい!そして食事もそこそこに席を立つ歩きながら「マインドフルになれるか試してみよう」と思いたつ早速、かゆみに意識を向けるかゆい!かゆい!!とにかくかゆい!!!「なんでこんなにかゆいの?」「はやくおさまってー」と思考が働くなんとかかゆみに意識を戻す「がまんできない」「逃げ出したい」「申し訳ない(身体に対して)」という感情がわいてくる再びやっとのことでかゆみに意識を戻す「かゆいのは私じゃない。からだ。」とまた思考が湧き上がるそんなことを繰り返していくうちに少しかゆさがおさまってくる「かゆいのは身体」とかゆみとからだを客観視すると、私自身はかゆいのではないと少し気持ちが落ち着いてくる深呼吸をする余裕さえでてくるそうこうする内にスーパーへたどり着くアーユルヴェーダでお馴染みのギーを作るために無塩バター購入不思議なもので買い物中にかゆみは遠ざかっている買い物から意識が遠ざかると、再びかゆみに襲われるかゆみはそこにあるだけど意識が離れているとかゆみは感じなくなる痛みも同じ普段は感じられない痛みがボディスキャンをしたり、ふとからだに意識を向けてみると痛みが浮上してくるのだ「意識がどこにあるか?」「意識をどこに向けるか?」それって実は重要なことなのだ、と気づくやがてかゆみはふくらはぎにうつり、大腿部を通り越して臀部にうつるいつもは大腿部にもかゆみがでるのに何でだろう?蕁麻疹発症から約2週間経過必要なのは解毒大きなストレス源からの脱出準備は整った!デットクスしてからだのバランスとりもどすぞーー♪今日はたくさんの音楽を聴いた♪たくさん感動して、泣いて、ドキドキして、勇気をもらった☆”デトックスの第1歩 (単純! 笑)

睡眠時間の位置づけ

これまでの私は遅寝遅起きが基本でした。そのほうが断然身体の調子がいいと信じていたんです。実際に、早寝しようとも遅寝しようとも、早い時間帯に起きると調子が悪く、睡眠時間が短くても遅い時間帯に起きた方が調子が良かったからです。ですが、、、アーユルヴェーダ的睡眠は、一般的に22時から2時のピッタの時間に眠っているのがよいとされています。お肌のゴールデンタイムとも言われていますね!(厳密には、V・P・Kにより、そして季節により変動あり)その時間に眠るということで、就寝時間は22時前となります。なかなか現代人の生活として22時に眠りにつくのは難しいものですが、私の場合ピッタの時間終盤にようやく眠るような生活習慣となっていました。そして、朝起きるのも遅め...そこで一念発起して、早く寝ることにしてみました。と言っても、まずは24時前に寝るというとこから始めました。できれば23時にはふとんの中へ入り眠る。難しい時でも24時には眠りにつけるようにする。そしたら、、、あら不思議!朝の目覚めは相変わらずあまり良くないものの(起立性低血圧症持ち)、午前中の目覚め具合がぜんぜん違うんです♪午前中はいつもけだるさでいっぱいだったんですが、割と早い時間に覚醒できていると感じます。「えーーー!それだけで!?」という気持ち。けれど「それだけ」なんです。遅寝遅起習慣のほうが私にとってはいいのだ、というのはどうやら勘違いだったようです 笑きっと、体内時計が狂っていたのでしょう...そして、少し前のこと。私は家族の介護により寝不足の日々を過ごしてました。仕事か介護をして、あいた時間に眠るという日が続いたのですが、目の前のことをただこなすだけになっていきます。眠るのもこまぎれ状態で、まとまって眠ることができず、合計睡眠時間自体も短くなっていました。そうなると、集中力の低下にイライラに、疲労困憊と言った症状がでてきます。改めて気づいた、睡眠の大切さ。そして、睡眠はいつも一日のToDoをして、困らない程度に眠る時間を確保して、眠りについて起きていたのだと。「6時間 or 7時間30分眠るのがいい」とか「お肌のゴールデンタイムに眠るのがいい」とか「睡眠負債」なんて言葉に耳を傾けながらも、睡眠は日常生活の中で後回し。一日24時間だけど、他の用事が優先されて睡眠は削られて追いやられてしまう。睡眠は大切なものですよね?皆さんご存知ですよね?では、「致死性家族性不眠症」はご存知でしょうか?ごくごくまれな病気ですが、発症すると眠れなくなって2年以内ぐらいに死に至るそうです。「大切な睡眠なのに後回しでいいの?」それが私の思ったことでした。睡眠は残りの余ったの時間でということではなく、日常生活の中で睡眠時間(就寝・起床時間と実際の睡眠時間)を軸に夜と朝の時間を使い方を考えていく必要あり!なんで今まで気づかなかったんだろう? 笑また心地よさが増す日々となりそうです♪

blog再開!

出すこと・排出することへの意識

アーユルヴェーダで病気のもととなると考えられているもの「アーマ」アーマは未熟という意味で、未消化物⇒毒素と捉えられています食事をして消化しきれないものが、毒素となって体中を流れていき、血管やリンパ管などの管に付着します。そして、やがて病気を引き起こす…という考えです故に、アーマをつくらない、溜めない、食べたものは栄養として体に吸収させると共にしっかりと消化させること、老廃物や毒素はきちんと排出すること大切になってきます私たちは様々なものが循環して、生きていますね?「入れたら出す」この基本的なことに、どれだけ意識を向けられているのでしょうか?どれだけ出来ているのでしょうか…?※入れたらそのまま出すのではなく、そこには消化・吸収という大切なプロセスもありますが!出すことへの意識食べたいものを食べて、あるいは何でもいいからとお腹を満たして、出すことへの意識はどこへ?今日も一日動いて、考えて、疲れて…。 その疲れが残ったまま眠りへ?嫌なことがあった。つらい、しんどい、もう嫌だ!その気持ちはどこへいくのだろう?適切に出すということをしていかないと、心も体も毒素がたまっていきます幸いにも人には自己回復力が備わっているので、ある程度は自然治癒しますが、知らず知らずのうちに悪いものがたまれば、いつか病気という形で姿を現すでしょう健康でいるためには、出す意識、出す習慣が必要ですぜひ、出すということへ意識を向けてみてくださいそれから、呼吸も吸って吐いてを繰り返し、循環していますが、吸うことへの意識より吐くことへの意識が呼吸量を増やしてくれます吐ききれば自然に吸うことができます吐ききれば吸える量を増やすことができますなお、日常生活でも出すことへの意識があるといいと思いますよ!買った食品はいつどのように使うのか?買った洋服や物はどのタイミングで処分・リサイクルするのか?たまる埃や汚れはいつ掃除するのか?ただし、お金に関しては出すという意識だけでなく、貯めるという意識も必要ですね!不要なものは出しましょう不要なものは手放しましょう、

アーユルヴェーダ ☆自分と向き合うこと☆ 

たぶん、アーユルヴェーダに興味をもったのは中学生の頃何かの雑誌で目にして興味をもったんだけど当時は、アーユルヴェーダを知っている人は日本ではかなり少なかったと思うそして、体も心も壊れた時に「ヨガとアーユルヴェーダなら私を取り戻せるに違いない」という根拠のない自信をもってインドに渡り、ヨガアシュラムとアーユルヴェーダホスピタルに滞在をした得意の根拠なき自信だったけど、見事にそこで感じたことのない「体の軽さ・心の軽さ」を体得できた!(けれど、帰国後の自己管理がうまくできず、体調の揺り戻しは起きてしまったのだけど...)「自分にあう生活(生きる活動)の仕方をしてたら、本当の自分を取り戻せる」そう思い、その後もアーユルヴェーダを生活に取り入れたり、知識を増やしたりしてきたけど、もっと深く勉強したいという気持ちが強くなり、現在、知識を深めるとともに実践も深めている日々そして、アーユルヴェーダを深めていくうちに、恥ずかしながら今さらながら気づいたこと...それは、「アーユルヴェーダは自分と向き合うこと」であることこれまでは、知識を増やしても、アーウルヴェーダホスピタルで医師に診断診断してもらった処方だったり、惹かれるアーユルヴェーダの考え方や製品、食事などをとりいれてばかりいたので、基本中の基本である「自分に向き合うこと」がすっかり疎かになってしまっていたのだ...自分の体質を知り、自分の心の状態に向き合い、どんな生活をしているか見つめないと、アーユルヴェーダを深めることはできない知識だけなら深められるかもしれないけれど、アーユルヴェーダは自然と調和し、自分のバランスを整え、健康な状態を保ち、幸せであることなので、自分の状態や変化を知ることから始まっていく例えば、、、今日の私は朝快適に起きることができたのか?今の私よい気分でいるのか?今日の私は何を食べたのか?食べるのか?今日の私は体は軽いのか?重いのか?いまの私は胃が重くないか?体に痛みはないか?いまの私は熱いのか?寒いのか?上記はほんの少し書き出しただけで、向き合うこと、知ることはたくさんあるけど、普段はスルーしてしまうことばかり...事が悪化しないとなかなか向き合うことができないのが忙しい現代人...いま改めてアーユルヴェーダを通して、自分と向き合ってみると、どんな食事がその時々の自分にあっているのか、どんなライフスタイルが心にも体にも影響を与えているかがよく分かる!情報過多の時代であるからこそ、振り回されずに生きていく術をみにつけなくては!自分を知ると紐が解かれて、別の自分が現れるどんどん紐を解いていけば、本当の自分に出会える今日はどんな自分と出会えるだろう??

いつかたどり着く

"It does not matter how slowly you go, as long as you do not stop."※英語のサイトより(孔子の言葉という説あり)「やめてしまわない限りは、どれだけゆっくり進んでもいいんだよ」最近、友人、知人からとても多くいただく声「やりたい事がわかってていいなぁ」「ライフワークを見つけられててすごい」「好きなことをやっててうらやましい」「人生楽しんでるね」などここ10年程、迷走に迷走を重ねてようやく私にとっての本当のゴールが見えたように思うが、、、これまでもゴールが見えたと思ったことは何度かあるその時は「これだ!」という確信めいたものがあったそして、その道へまっしぐら(笑けれど、何か足りないような満たされきれないものを感じ、次へと向かうその繰り返し...幸いなことに好奇心旺盛な大人なため次から次へとやりたい事がでてきて、何かへの探求心や興味は枯渇することがない迷い進み、迷い進み、ようやく探し物はみつかった!まだプチ迷走もしながら道を進んでいるものの、目的も全体像が見えていて、足りている・満たされている感じがしているのでもう大丈夫ここまで来るまで長かったけれど、その間に起こった受難も経験も私に深みを、成長を与えてくれたこれまで勉強したこともパズルのピースのように、バラバラだったり隣り合わせだったりだったけど、やがて大きな1つの絵になっていることに気がついた自分のやりたいことを見つけたい皆さまへどうか、やりたいことを見つけたいと思っている気持ちを無くさないでください立ち止まってもいいし、何度も別の方向に進んでしまってもいいんですけれど、ぼんやり「やりたい事できたらいいな」と思っていてもなかなか道は拓きません時には本気で自分に向き合ってください「何をしたら自分は嬉しいんだろう?」「好きなことは何だろう?」「やりがいを感じることは何だろう?」考えて、自分と向き合って、アクションをして、自分のやりたい事探しを止めなかったら、必ずみつかりますよ!自分を知って、自分のやりたい事をみつけましょう♪  ⇒みつけるというよりも、「気づく」という感覚です

ホリスティックヘルスとライフコーチングの関係

「ホリスティックヘルス」という言葉と「ライフ・コーチング」という言葉。個々の言葉を知っていらっしゃますか?2つの言葉がつながりますか?「ホリスティック」とは「全体性」を意味します。一言で言うと、「全てが包括された健康」ということになるのでしょうか。私の場合、過労で体を壊し、心も壊れてしまい、そこから体と心を見つめ問いかけ、そして健康について向き合ってきました。健康への探求は私にとってのライフワークになっています。一般的には、健康というと病気の対の言葉で、病気ではない状態、特に体が元気な状態と思われている方が多いかと思います。いつからか、「うつ病」は「心の病気」ということが認知されてきましたね。では、体と心が病気ではない状態が健康なのでしょうか?WHOでは(日本協会の日本語訳より)、下記のとおり定義しています。健康とは、病気でないとか、弱ってないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。「すべてが満たされた状態が健康」であるという考え方についてどう思われますか?私も健康を探求してきた結果、そうであると思っています。だからこそ、全体性を捉え、あらゆる角度からのアプローチをするホリスティックヘルスが必要とされているのだと思います。そして、「ライフ・コーチング」については既にご案内済みなのでこちらでは割愛いたしますが、こちらも実はホリステッィクがベースとなっているのです。「すべてが満たされた状態」になるためには、人それぞれが様々な問題や悩みに直面したり、新しい1歩を踏み出す勇気が必要になってきます。そこに向き合っていくのが、ライフ・コーチングです。私はこれまで心のケアと体の管理が健康につながると思い、ヨガ、アーユルヴェーダ、マインドフルネス、ストレスリリースのためのキネシオロジー、カラーセラピー等を勉強してきましたが、それらが相乗効果となって発揮できるツールである(と直感した)、「ライフ・コーチング」に出会ったのです。「すべてが満たされた状態」は、人にとって真健康であり、真の幸せな状態だと思います。サンスクリット語のshanti(シャンティ)にもつながると思います。すべてが満たされるための第1歩は、自分と向き合うことから始まります。自分を知らなければ、満たされているかどうかさえ分からないことになります。「自分はリラックスできているのだろうか?」「体に痛みはないか?」「心に恐れがないか?」「仮面をかぶった自分でないか?」「やりたい事ができているのか?」「愛し、愛されているのか?」「感情を感じているのか?」「自分に優しくできているのか?」「どんな生き方をしたいのか?」自分にどれだけ問いかけて、どれだけの答えがでているのでしょうか?自分が満たされるための気づきは人それぞれで、たくさんあり過ぎるのでここには挙げきれませんが、立ち止まって自分と向き合わないと始まりません。前述の私が勉強してきた事柄はすべて自分自身で自分と向き合うツールであり、ホリスティックヘルスにつながるものでもあります。さらに、コーチングは自分と向き合うことを助け「気づきを起こしやすくし、気づきを深める」という恩恵が得られます。ですので、真の健康=真の幸せを目指すために、KAMALAではホリスティックヘルスとライフ・コーチングを取り入れているのです。けれども、いきなり、「すべてが満たされた状態になるぞー!」という気持ちにはなりにくいと思うので、もう少し力をぬいて「自分らしく生きること」を提唱させていただいています。Be Healthy, Be Happy, Be Yourself!   美帆